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2005年9月28日 (水)

秋田100km完走記&反省記(完)

記録…8時間56分16秒(手元計時、自己ワースト2位)

いろいろな困難に向かっていく過程で、練習に身が入らなくなってしまった危機的状況を乗り越えて、この大会2週間前あたりからようやく「手ごたえ」らしきものをつかめていたので、「せめて」38℃近い発熱を乗り越えて10位入賞したときの記録8時間31分ぐらいではいけると思っていた。しかし、今回の結果のとおり、マラソンの神様は練習不足のわたしが「結果」を出すことを許してくれなかった。まさに「練習は裏切らない」、そのとおりだ。

スタートしてから中間点までは冷たい雨模様、自分にとっては「苦」にするどころか、5年前に9位入賞したときの状況と非常によく似ているので、「ラッキー」とよろこんでいた。あのときには、雨模様に加え、けがによる体調不安を抱えての出走だった。だから、「奇跡は繰り返す」と信じていた。自分の中では。。。 しかし、その考え方は10kmもいかないうちに崩れ去ってしまった。5~10kmが24分、これは100km走って以来14年間なかったことだ。その後も、ぼてっとした重たい走りが続く。調整不足もさることながら、睡魔と尿意に襲われ始めた。予想していたタイムよりも、5kmごとに1分30秒単位で遅れていく。その積み重ねが焦りにもつながっていく。20kmすぎで第1回目のWC、このあとゴールまで9回もWCのお世話になろうとは予想だにしなかった。

30kmの通過タイム2時間26分を見て、さすがにがっくりきた。気持ちが折れそうになった。まさに13年前、40km地点で途中棄権したときの状況とよく似ている。あのときも十分に練習を積めていなかった。後続から何人もに抜かれ、「今日の自分はだめなのか?」とさえ思ったこともあった。

でも、このコースのポイントである大覚野峠越えを迎えるあたりで、セカンドウインドを脱したような感覚になった。雨で給水要らずの走りやすい気象状況が追い風になっているようだ。急激な上りでも、いつもはあえぎながら上っているのに、今回はスムーズに上れている。そして、最高点550mを過ぎて下りに入ると、上るような感覚で着実に下っていく。後半戦に期待をつなげそうな余裕感があって、「奇跡」を念じながら走り続けた。

中間点は4時間16分、もちろん100km出走以来最も遅い通過タイム。ここからの50kmを4時間ちょっとでいけたらとリズムを大切にして走る。でも、ここからとめどなく尿意に襲われ始めた。50kmから65kmまで実に5回のWCタイム、自分の体がどうかしてしまったのだろうかとさえ思えた。普段の100kmでは全体でもせいぜい3回程度なのに。。。 1回1分として約10分のロスタイムであることもさることながら、立ち直ろうとしていた貴重な復調の芽を自らの手で摘み取ってしまうことになってしまったことが非常に痛かった。事実、60kmあたりの国道105号の側道に差しかかったときには足が止まっていた。

60kmぐらいからは雨も上がり、陽も差し始めた。むしろ暑さも実感するぐらいになった。おかげで気持ちが明るくなった。徐々にしぼみかけていたいいムードも思い出し始めていた。沿道では、大会プログラムを見て、わたしが書いたコメントを読みながら、「奇跡を信じて、8度目の完走目指せ!」とエールを送ってくれる方々もいらっしゃり、自分の心の中でその「奇跡」を念じているうちに涙が出てきてしまった。65㎞手前の北緯40度線の記念撮影ゲートあたりでは、涙を笑顔に変えようと、精いっぱい「走るよろこび」を表現して通過した。そこでの「笑顔がいいよ!」という声援にまた涙。まるで、14年前にはじめてこの大会で100㎞を走ったときと同じだ。思えば、今年1月の宮古島100㎞ワイドーマラソンでの年代別優勝以来今日まで、「はじめて100㎞を走ったときの気持ち」を忘れかけていたように思える。自分にとっての「マラソンの聖地」で、マラソンの原点を思い起こすことができた。それが今回とてもうれしかった。

こうして65km以降復活し、うまくいけば昨年に近い8時間30分台もいけそうと思った。しかし、今年は勝手が違った。72kmのエイド手前で3人のランナーに抜かれ、置いていかれた。昨年このあたりは友の「引力」に導かれてキロ5分を切るペースで走れた得意区間、でも今度は逆に前方の3人がキロ5分を切るペースなので立場逆転。思い出の場所で声援を送ってくれる知人も今年はいない。そして、「引力」で引っ張ってくれるランナーも今年はいない。徐々に「追い足」が鈍ってきた。80kmを通過するころに、「浜辺の歌」のサイレンが聞こえてきた。昨年は83kmの米内沢の橋の上で風になびいてこのサイレンが聞こえてきた。この段階で昨年との差は16分、このままいけば、ぎりぎり8時間40分台、でも残り20kmを2時間かかってしまうと、生涯初の9時間台に突入してしまうので気が抜けない。(はずだった。) 

80kmすぎてから、性懲りもなく尿意をもよおして9度目のWC。そのすきに女子2位の選手に抜かれた。そういえば、57kmのWCタイム時にも、女子トップのあべちゃんに抜かれたんだ。コースに戻って走り出すと、ももが鉛のように重い。今年のサロマの再現、学習効果ゼロだ。体感では5km32~33分に感じた。このままでは、初100kmから14年守り通してきた完走タイム8時間台は危ない。正直、この区間が今回最も苦しかった。

そんなわたしにも「救いの神」あり。昨年浜辺の歌を耳にした橋を渡って左折したところで、沿道にいたおばあちゃんから「ちゃっこいのどう?」って、冷えた缶コーヒーを勧められた。日差しが強まってのどが渇いていたので、氷の敷き詰められたワゴンの中から、アメリカの州の名前のついた缶コーヒーを手にして飲み干す。おいしい。横からおばあちゃんが、「兵庫からきたのに、よく秋田の言葉わかったね」と感心された。そこでの短いやり取りですっかり息を吹き返した。おばあちゃん、ありがとう。

そのあとは、ちょうど後ろから追いかけてきた黄色いユニフォームの長身のランナーと単調な農道を並走する。はじめはついていくのがやっとだった。でも、この人よく見ると、わたしが会社に入社したときにお世話になったマラソンの師匠を彷彿させてくれるような走り方だ。今でも尊敬する師匠の面影を追いかけるように走るうちに元気さもりもり、逆にこちらから引っ張るようになった。そして今回楽しみにしていた89kmの合川町エイドにたどり着く。そう、昨年ここで「ゆきちゃん」と熱烈な(?)声援を受けたところだ。ことしはそれはなかったけれど、エイドの主任がわたしのことを覚えてくれていた。それだけでもうれしかった。

ラスト10kmは向かい風、8時間台に向けての「貯金は何分?」と1kmごとに数えながら走る。先ほどまで並走していたランナーも置いて余裕の走りになってきた。ただ、5km29分台なので思ったほどペースは上がっていない。1秒でも早くゴールしたかったので、思い通りに動かない体を四苦八苦しながらゴールへと向かっていく。ラスト2kmで前方10mにランナーをとらえたがゴールまでその差は変わらず。そして商店街のアーケードをすりぬけ、ゴールゲートへと続くロードへ。タイムはへろへろだったが、一時は危うかった8時間台でのゴールを11回続けることができたよろこびから、入賞したときにやろうと決めていたガッツポーズを思わず出してしまった。心の底からうれしかった。やはり、ウルトラマラソンは、ゴールすることに価値がある。

今回の大会で、「練習」の大切さを思い知った。来年はだぼはぜのようにウルトラの大会に出るようなことはしない。100kmは「秋田」一本にしぼります。そして、今年の無念ともどかしさを晴らすべく、パワーアップとシェイプアップして戻ってきます。

ありがとう、秋田!

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