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2008年9月29日 (月)

2008秋田100kmマラソン完走記

【記録・順位】 8時間59分32秒(31位)

【5㎞ごとの通過タイム】

  LAP SPLIT 寸評
5km 0:23:15 0:23:15 無難なスタートに思えたが。。。
10km 0:47:31 0:24:16 ここですでに24分台、まずい。
15km 1:12:02 0:24:31 落としたペース取り戻せず。
20km 1:37:15 0:25:13 アップアップしはじめた。
25km 2:02:50 0:25:35 WC休憩後楽になったが。。。
30km 2:29:09 0:26:19 迂回路の上りでへろへろ。
35km 2:55:17 0:26:08 復調の気配もちらほらと。
40km 3:24:12 0:28:55 上りにしては上出来。
45km 3:52:41 0:28:29 ももの張りと酸欠で伸び悩む。
50km 4:22:07 0:29:26 中間点通過は史上最悪、絶望的?
55km 4:50:04 0:27:57 右もも裏の痙攣に耐え、復調開始。
60km 5:17:00 0:26:56 苦手な区間を気持ちよく乗り切る。
65km 5:43:52 0:26:52 いいときのリズムを思い出した。
70km 6:11:51 0:27:59 股ズレが気になって勢いに陰り?
75km 6:39:09 0:27:18 8時間台の希望が出てきた。
80km 7:06:49 0:27:40 4年前の走りを思い出していた。
85km 7:34:40 0:27:51 81㎞のエイド後きつくなってきた。
90km 8:04:22 0:29:42 農道はうまく走れたが、上りで。。。
95km 8:32:47 0:28:25 正直8時間台はきついと覚悟。。。
100km 8:59:32 0:26:45 無我夢中のラストスパートは奇跡。
前半   4:22:07  
後半   4:37:25  
  0:15:18  

【総評】

大会前の試練と不調、今回の苦しい走りを乗り越え、最低限守らなければならないと思っていた秋田での完走タイム8時間台で走りきることができて、ほんとうにほっとしています。これまで続けてきたこの大会での初100㎞からの8時間台の完走を9回連続に伸ばし、苦労に苦労を重ねて守り通した伝統の重さを実感しました。

【1】出走に向けて

6月のサロマでの右アキレス腱故障のあと7月の帯状疱疹が重なって約1ヶ月の休養、復活後も業務上の理由で満足のいく練習が積めなかった。8月末の五島列島夕焼けマラソン時には体重が極限状態に増えて、アップダウン激しいとは言えハーフ1時間42分という絶望的な記録。このころはまだ右アキレス腱故障が再発し、冷静に考えて8時間台の死守どころか完走すらおぼつかないと思った。

9月に入って右アキレス腱故障も癒え、ようやく練習でもそれなりの結果は出し始めた。練習量そのものが不足しているので、15㎞超のレースペース走では失速していたが、「もしかしたら」という気持ちも芽生え始めた。自分自身での実現可能性の分析として、8時間台が50%未満、8時間半以内が20%、秋田での自己ベスト8時間13分は5%未満と考えていた。(ましてや、過去3回経験している入賞に至っては小数点以下の可能性。。。) 状況は非常に厳しいけれど、守るべき8時間台でのゴールを目指して、粘り強く走ろうと自分自身に言い聞かせた。設定ペースは前半4時間10分以内、後半5㎞27~28分ペースのキープで、8時間30~40分前後を狙っていこうと考えていた。

【2】いざ、出走!

大会前日に角館入りし、走友のご好意でその団体に合流させていただいた。おかげで、ひとりっきりだったら深刻に感じていたであろう緊張感も軽減され、ニュートラルな感じでスタートラインに立つことができた。2年間の開催休止をはさんで3年ぶりの秋田、自分自身のウルトラマラソンの原点を見い出した場所に帰ってこれたことをうれしく思えた。

出走当日の朝、気温7℃と寒かった。でもスタート直前には星空も見え、心配された雨はない。当初体が温まるまで耐寒用のビニール袋をかぶって走ろうと考えていたが、これなら前日あわてて購入したアームウオーマーだけで済みそうだ。いよいよスタートのカウントダウン開始、今年はなぜかこの大会の代名詞のつじ子実行委員長ではなかった。今回お姿をお見受けできなかったのは心残り。。。

【3】序盤戦…よかったのは5㎞まで

午前5時、号砲がカウントダウン3秒前に発せられて混乱もあったふにゃふやスタートだったが内陸路の長い長い時間が動き始めた。頭の中では入りの5㎞は24分台に限りなく近いところを狙っていたのでいつもよりも気持ちを抑えて滑り出し。顔見知りの走友たちはどんどん前方へ。自分自身のペースも悪くないと思っていたがあっさりと置いていかれた。そしていつの間にか序盤からひとり旅。今回は40㎞まではほとんどがひとり旅だったような気がする。

5㎞通過は23分15秒、思っていた以上にいいタイム。ひとり旅ながら、体もリラックスできている。この調子が続けば明るい展望がひらけると自分自身に期待。ただ、距離を重ねるごとに、5㎞通過前に先に行かせたグループの姿が見えないぐらいに小さくなっていく。最初はあまり気にしていなかったが、8㎞ぐらいからペースにかげりが見え始めていると自覚した。

事実、5~10㎞ですでに24分台突入。不安が現実のものとなった。そんなペースダウンがあっても後方からはランナーが来ない。自分の前にはもう30人近くいるのに。。。と思う。ペースダウンを現実のものとして受け入れ始めたときにあいさつがわりの十二峠と草峠のアップダウン。ここでようやく1人抜かれた。福岡のランナー、力強い走りだった。もしかしたら数年前のサロマで70㎞過ぎに抜き返したランナーかもしれない。

峠を通過後、平地に戻ってから走りの勢いがうせてしまう。15~20㎞が25分要したこと自体、初めての経験だったので一瞬パニックに。気持ちを落ち着けようとWCブレイク。これで少しは落ち着いた。WCタイムを差し引くと、20~25㎞のラップは若干復調か。

25㎞通過後、コース上の土砂崩れの影響で迂回路へ。でもこの迂回路は上り主体、復調の兆しをつかみかけていた自分には誤算だった。心配していた通り、ここまでは上りの走りがよくない。大覚野峠越えに不安が残る。

【4】大覚野峠越え…上りも下りも予想外

一進一退を繰り返しながら勝負どころの大覚野峠越えを迎える。37㎞手前の戸沢エイド後の急坂が緩やかに感じるほど体がほぐれてきた。何となく、入賞した8年前のような体感に思えた。35~40㎞は30分超えを覚悟の中、28分台と自分にしては予想外によくまとめたと思えた。40㎞通過が3時間24分、序盤の誤算が響いて青写真よりも8分遅れている。このままいけば中間点通過はこの大会でのワースト記録(2003年)の4時間16分ぐらいだろう。あのときのゴールタイムは8時間58分だったので、何とか中間点通過は4時間16分におさめたいと思った。

40㎞通過後、それまで軽快に進んでいた上りでのペースが鈍り始めた。ペースダウンの隙に、ヘヤピンカーブでほとんど見えなかった4人に抜かれる。最高点の560mにたどり着くまでの辛抱と言い聞かせる。そしてトンネルを抜けて最高点到達。ここで走りのギアチェンジをと試みるが、もも前側が重たいことに加え、着地時の衝撃を敏感に感じて追い足が鈍い。それに酸欠気味の頭の中と空腹感も手伝った。ここでも女子のトップを含めて4,5人に抜かれた。下りの区間は5km26分台をもくろんでいたのに28~29分台。これでは中間点通過は8時間台達成に向けての危険域4時間20分台に突入だ。峠越えは上りも下りも予想外の誤算だった。

【5】中間点通過…絶体絶命?

比立内トンネルを抜けてエイドに到着。ここでシューズを底が厚めのターサーへのチェンジと違和感を感じていた右もも裏への処置をすませ、秘密兵器(?)のチョコ風味の栄養補給バーを持って再スタート。エイドでのロスタイムは約3分。走り始めたときに、やけにシューズの紐がゆるいと感じた。一度止まって結びなおそうとも考えたが、リズムを崩しそうだし、そのうち足の甲が膨張することを想定してそのままでいくことにした。やがて中間点を通過、考えもしなかった4時間22分台。追い討ちをかけるように右もも裏の痙攣がはじまって走る格好するのがやっとの状態。5km30分超えを覚悟するほどのペースダウンにも感じた。8時間台で走るには後半の50kmを4時間37分、5km28分でも追いつかない。こんな状態では8時間台なんて。。。と絶体絶命のピンチに直面。

【6】可能性を信じて…奇跡的な復活

中間点を過ぎてから情けない走りが続いていたが、屈伸を繰り返したり、手持ちの栄養補給バーをほおばりながら足を進める。53kmあたりから、自分自身でも「あれっ?」と思えるほど、急に体の動きにリズムが戻った。ゆるゆるのシューズも足になじんできた。50~55kmのラップがかろうじて27分台だったことも気をよくした。ここで気持ち面でもギアチェンジできた。自分自身で8時間台到達のために必要なレース設計を計算した。中間点の4時間22分に後半5時間(5km30分ペース)を加えると「借金」は22分、5kmごとに借金を2~3分返済して22分の借金を返済しようと。。。

復活した53km以降の走りは気持ちよかった。苦手区間の萱草鉄橋のあたりや60km手前からのわき道もいい感じ。55~60kmが26分台、ここで復調の手ごたえを「確かなもの」として実感した。60km過ぎのエイドでボランティアの方から自分の通過順位が44位と教えていただいた。前にはランナーの姿もいい感じで見渡せる状態、いい目標ができたと思った。

このあたりで雨が激しくなってきた。目も開けていられなくなってきた。雨だけのせいではない。復活の手ごたえを感じながら沿道の素朴であたたかい声援を聞いているうちに。。。 北緯40度線のゲート前では晴れやかにポーズ、復活の充実感でいっぱい。65kmで借金は13分と順調に返済、まだまだ楽観はできないがモチベーションが上がってきた。

70km手前の上りあたりで股ズレの痛みが気になり始め、勢いが鈍る。その隙に後方からいったん抜いた4名のランナーにかわされる。つらいつらい上りに耐えながら70km通過、5kmラップがぎりぎり27分台だったので心の中のやる気が再点火。一度置いていかれた集団を追いかけるうちにまつごろうさん発見。自分同様、辛抱の走りを続けているように伝わってきた。どんな言葉をかけようかいろいろ考えたけれど、抜き際に「まつごろうさん!」とシンプルに声をかけた。これまで出会ってから9年間、お互い切磋琢磨して、苦難を乗り越えながら走ってきたので、言葉だけでは伝えきれない「以心伝心」を伝えようと思った。

72kmのエイドを通過後、4人の集団から自分ともうひとりのランナーの2人が抜け出す。勢いに乗って飛ばしすぎると自滅するのでリズムを大切に走った。100kmマラソンでしばらく忘れていた「後半のリズムとリラックス」を思い出したような感じがした。80kmでは借金は6分49秒、4等分すると1分42秒と5km28分18秒ペース。「あとひと息」のところまで近づいてきた。

【7】追い足にかげり…80km以降の苦戦

80kmあたりから雨もやみ、日差しが強くなってきた。低温と雨で体が冷え切っていたところに強い日差しは、意識面、ももの動きにも影響を与え始めていた。

81kmの米内沢のエイド通過後、足が止まり始めた。土壇場に来てまずい展開。72kmより並走してきたランナーにも置いていかれ、後方からも2人抜かれる。とにかく水が欲しくなった。長い長い農道の入り口に水の入ったポリバケツがあればラッキーと思っていたらほんとうにあった。しかも氷入り! 給水だけでなく、頭からかぶり、疲れきったももにもかけた。これでリフレッシュできた。81km以降ペースが明らかに落ちていたので85kmの通過が心配だったが5kmラップは27分51秒と踏みとどまっていて安心。リフレッシュ後の走りでペースが回復したようだ。ここで借金は4分40秒なので、90kmまでに2分台にしておきたいところ。農道での走りもしっかりしているので、実現可能にも思えた。

しかし、農道から合川の町並みへと向かうところで追い足にかげり。毎回自分のことを覚えてくれている89kmの川井のエイドがなかなか近づいてこない。ようやくたどり着いたときには85kmより23分経過。いやな予感がした。川井のエイドでは、3年のブランクがあったのに自分のことを覚えてくれていて感激。8時間台死守に向けての最後の詰めをしっかりやろうと走り始めた。

【8】90km以降…頭の中を真っ白に、無我夢中でした!

川井の上りは壁のように感じた。85kmから28分を経過しても90kmの標識がなかなか近づいてこない。ラスト10kmの最後のアップダウンを目前にしてのブレーキは痛すぎる。事実、5kmラップは29分42秒、残り10kmを55分37秒で走らないと8時間台には届かない。5km30分近くにまで落ち込んだラップをアップダウンある区間で27分48秒にまで戻すことは難しそうに感じた。

91km通過は1km5分20秒台が必要と思っていたところ5分36秒、上りのある92kmでは2km11分36秒、正直、完走8時間台の連続記録が途切れてしまうことも覚悟した。でも、72kmからついては離れ、離され、追いついてを繰り返しているランナーの走りを見て、今こそ、「ウルトラランナーの真骨頂と意地」を見せるとき、「ここでがんばらなければいつがんばるんだ!」とあきらめてはいけないと気を取り直す。もう、フォーム無視で、頭の中を真っ白にしてとにかく無我夢中。

93kmでは給水ロスタイムのある中3km17分16秒、このあたりで並走していたランナーを引き離し始めた。下りが始まる94kmは4km22分50秒台、少し持ち直したが必要なペースには届いていない。やがてあきた北空港前のトンネルに入って上りをがまん。なかなかトンネル内の95km標識が見えてこなくてやきもきする。残り5kmは27分12秒と、キロ5分20秒台のラップが必要になった。絶体絶命のピンチ。。。

【9】そしてゴール

トンネルを抜け、下りに入ると今出せる最大限のスピードでラストスパート。とにかく苦しい。肉体面の負荷だけでなく、8時間台出せるかどうかの土壇場で直面している胸が張り裂けそうなプレッシャーに体が支配されて。。。 96kmで時計を見たらキロ5分16秒、「これはもしかして」とさらに腕を振ってピッチを上げる。97kmの給水はコップを取ってひと口飲んで素通り同然、下りの2kmを10分40秒なのでまだまだ微妙に思えた。

平地に戻るとよりいっそう苦しさが増してきた。98kmこそ3km16分01秒だったが、ラスト2~1kmではキロ5分40秒ちょっとかかって4km21分46秒。残り1km時点で8時間54分33秒だから必要なペースは5分26秒。意識が飛びそうになるぐらいのなりふりかまわないラストスパート。不本意にも古傷の右シンスプリントが重くなってきた。本当だったら3年ぶりの復活開催をラスト1kmからの鷹巣の商店街の方々からの「おかえりなさい」のあたたかいお出迎えに応えながら感謝を表現したかったけれど、体では表現できないぐらい自分自身に鞭打ってゴールを目指していた。

鷹巣駅前の曲がり角を右折時、時計は8時間57分30数秒。残された距離は400mほど、まだ安心できないが「もしかしたら」が「いけるかも」という気持ちに変わる。最後の直線は長く感じたが、ゴール直前の3年ぶりの大太鼓の出迎えで「帰ってきたぞ」と実感。大太鼓前を通過時、時計は8時間59分を少しまわっていた。その数秒後に左手にゴールゲートが見えた。もう8時間台でゴールできそうだ。最後のコーナーを左折してゴールゲートを目の前にしたとき、思わず右手を突き上げて「よっしゃー!」とガッツポーズ。その後両ももがつりそうになってバランスを崩しそうになりながらも目の前にはゴールテープ。テープが自分の胸にたどり着く前に両手を力強く上げて「やったー!」と雄たけび。この大会に臨む前のさまざまな試練、苦しみに苦しんだ今日の試練を乗り越え、この大会での完走タイム8時間台の伝統を守り通し、来年10回目の挑戦ができるという達成感が自分を無意識にそうさせたのだと思う。

【10】走り終えて…「これから」に向けて

今回のタイムは記録的には決して満足のできるものではないし、これぐらいで満足してはいけないと思っています。でも、8時間台の伝統を継続させ、いい時の走りを思い出せたことで、来年へのモチベーションアップにつながりました。

走り終えて鷹ノ巣駅の待合室で、10年前のこの大会の表彰式で自分のお隣の席で表彰を受けたランナーから次のありがたいお言葉をいただきました。

「自分は50代で8時間ひと桁で入賞したことを考えるとあなたはまだまだ若い。この大会でいっしょに近いところで何度か競り合ってきたのであなたの走りをよく見てきたけれど、体重は重たいながらも後半の走りは柔らかい走りに見えて、ウルトラマラソンに向いていると思う。これからの活躍を期待しているよ。。。」

とてもうれしかったです。重みのあるアドバイスです。今まで誰からも教えてくれなかった自分の長所を気づかせてくれながら、「これから」に向けて自分に必要なことは何かというアドバイスも教えていただきました。来年の自分に期待できるよう、しっかり練習しよう。そして、来年もこのすばらしい秋田100kmマラソンを走れることを楽しみにしています。今年十分にできなかった沿道の皆さんへの感謝を2回分表現するために。。。

来年はいよいよ完走10回のクリスタルランナーへの挑戦です。大会初の「完走10回すべて8時間台」を達成目指してがんばります!

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