2013年12月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

最近のトラックバック

最近のコメント

無料ブログはココログ

« 2008年8月 | トップページ | 2008年10月 »

2008年9月29日 (月)

2008秋田100kmマラソン完走記

【記録・順位】 8時間59分32秒(31位)

【5㎞ごとの通過タイム】

  LAP SPLIT 寸評
5km 0:23:15 0:23:15 無難なスタートに思えたが。。。
10km 0:47:31 0:24:16 ここですでに24分台、まずい。
15km 1:12:02 0:24:31 落としたペース取り戻せず。
20km 1:37:15 0:25:13 アップアップしはじめた。
25km 2:02:50 0:25:35 WC休憩後楽になったが。。。
30km 2:29:09 0:26:19 迂回路の上りでへろへろ。
35km 2:55:17 0:26:08 復調の気配もちらほらと。
40km 3:24:12 0:28:55 上りにしては上出来。
45km 3:52:41 0:28:29 ももの張りと酸欠で伸び悩む。
50km 4:22:07 0:29:26 中間点通過は史上最悪、絶望的?
55km 4:50:04 0:27:57 右もも裏の痙攣に耐え、復調開始。
60km 5:17:00 0:26:56 苦手な区間を気持ちよく乗り切る。
65km 5:43:52 0:26:52 いいときのリズムを思い出した。
70km 6:11:51 0:27:59 股ズレが気になって勢いに陰り?
75km 6:39:09 0:27:18 8時間台の希望が出てきた。
80km 7:06:49 0:27:40 4年前の走りを思い出していた。
85km 7:34:40 0:27:51 81㎞のエイド後きつくなってきた。
90km 8:04:22 0:29:42 農道はうまく走れたが、上りで。。。
95km 8:32:47 0:28:25 正直8時間台はきついと覚悟。。。
100km 8:59:32 0:26:45 無我夢中のラストスパートは奇跡。
前半   4:22:07  
後半   4:37:25  
  0:15:18  

【総評】

大会前の試練と不調、今回の苦しい走りを乗り越え、最低限守らなければならないと思っていた秋田での完走タイム8時間台で走りきることができて、ほんとうにほっとしています。これまで続けてきたこの大会での初100㎞からの8時間台の完走を9回連続に伸ばし、苦労に苦労を重ねて守り通した伝統の重さを実感しました。

【1】出走に向けて

6月のサロマでの右アキレス腱故障のあと7月の帯状疱疹が重なって約1ヶ月の休養、復活後も業務上の理由で満足のいく練習が積めなかった。8月末の五島列島夕焼けマラソン時には体重が極限状態に増えて、アップダウン激しいとは言えハーフ1時間42分という絶望的な記録。このころはまだ右アキレス腱故障が再発し、冷静に考えて8時間台の死守どころか完走すらおぼつかないと思った。

9月に入って右アキレス腱故障も癒え、ようやく練習でもそれなりの結果は出し始めた。練習量そのものが不足しているので、15㎞超のレースペース走では失速していたが、「もしかしたら」という気持ちも芽生え始めた。自分自身での実現可能性の分析として、8時間台が50%未満、8時間半以内が20%、秋田での自己ベスト8時間13分は5%未満と考えていた。(ましてや、過去3回経験している入賞に至っては小数点以下の可能性。。。) 状況は非常に厳しいけれど、守るべき8時間台でのゴールを目指して、粘り強く走ろうと自分自身に言い聞かせた。設定ペースは前半4時間10分以内、後半5㎞27~28分ペースのキープで、8時間30~40分前後を狙っていこうと考えていた。

【2】いざ、出走!

大会前日に角館入りし、走友のご好意でその団体に合流させていただいた。おかげで、ひとりっきりだったら深刻に感じていたであろう緊張感も軽減され、ニュートラルな感じでスタートラインに立つことができた。2年間の開催休止をはさんで3年ぶりの秋田、自分自身のウルトラマラソンの原点を見い出した場所に帰ってこれたことをうれしく思えた。

出走当日の朝、気温7℃と寒かった。でもスタート直前には星空も見え、心配された雨はない。当初体が温まるまで耐寒用のビニール袋をかぶって走ろうと考えていたが、これなら前日あわてて購入したアームウオーマーだけで済みそうだ。いよいよスタートのカウントダウン開始、今年はなぜかこの大会の代名詞のつじ子実行委員長ではなかった。今回お姿をお見受けできなかったのは心残り。。。

【3】序盤戦…よかったのは5㎞まで

午前5時、号砲がカウントダウン3秒前に発せられて混乱もあったふにゃふやスタートだったが内陸路の長い長い時間が動き始めた。頭の中では入りの5㎞は24分台に限りなく近いところを狙っていたのでいつもよりも気持ちを抑えて滑り出し。顔見知りの走友たちはどんどん前方へ。自分自身のペースも悪くないと思っていたがあっさりと置いていかれた。そしていつの間にか序盤からひとり旅。今回は40㎞まではほとんどがひとり旅だったような気がする。

5㎞通過は23分15秒、思っていた以上にいいタイム。ひとり旅ながら、体もリラックスできている。この調子が続けば明るい展望がひらけると自分自身に期待。ただ、距離を重ねるごとに、5㎞通過前に先に行かせたグループの姿が見えないぐらいに小さくなっていく。最初はあまり気にしていなかったが、8㎞ぐらいからペースにかげりが見え始めていると自覚した。

事実、5~10㎞ですでに24分台突入。不安が現実のものとなった。そんなペースダウンがあっても後方からはランナーが来ない。自分の前にはもう30人近くいるのに。。。と思う。ペースダウンを現実のものとして受け入れ始めたときにあいさつがわりの十二峠と草峠のアップダウン。ここでようやく1人抜かれた。福岡のランナー、力強い走りだった。もしかしたら数年前のサロマで70㎞過ぎに抜き返したランナーかもしれない。

峠を通過後、平地に戻ってから走りの勢いがうせてしまう。15~20㎞が25分要したこと自体、初めての経験だったので一瞬パニックに。気持ちを落ち着けようとWCブレイク。これで少しは落ち着いた。WCタイムを差し引くと、20~25㎞のラップは若干復調か。

25㎞通過後、コース上の土砂崩れの影響で迂回路へ。でもこの迂回路は上り主体、復調の兆しをつかみかけていた自分には誤算だった。心配していた通り、ここまでは上りの走りがよくない。大覚野峠越えに不安が残る。

【4】大覚野峠越え…上りも下りも予想外

一進一退を繰り返しながら勝負どころの大覚野峠越えを迎える。37㎞手前の戸沢エイド後の急坂が緩やかに感じるほど体がほぐれてきた。何となく、入賞した8年前のような体感に思えた。35~40㎞は30分超えを覚悟の中、28分台と自分にしては予想外によくまとめたと思えた。40㎞通過が3時間24分、序盤の誤算が響いて青写真よりも8分遅れている。このままいけば中間点通過はこの大会でのワースト記録(2003年)の4時間16分ぐらいだろう。あのときのゴールタイムは8時間58分だったので、何とか中間点通過は4時間16分におさめたいと思った。

40㎞通過後、それまで軽快に進んでいた上りでのペースが鈍り始めた。ペースダウンの隙に、ヘヤピンカーブでほとんど見えなかった4人に抜かれる。最高点の560mにたどり着くまでの辛抱と言い聞かせる。そしてトンネルを抜けて最高点到達。ここで走りのギアチェンジをと試みるが、もも前側が重たいことに加え、着地時の衝撃を敏感に感じて追い足が鈍い。それに酸欠気味の頭の中と空腹感も手伝った。ここでも女子のトップを含めて4,5人に抜かれた。下りの区間は5km26分台をもくろんでいたのに28~29分台。これでは中間点通過は8時間台達成に向けての危険域4時間20分台に突入だ。峠越えは上りも下りも予想外の誤算だった。

【5】中間点通過…絶体絶命?

比立内トンネルを抜けてエイドに到着。ここでシューズを底が厚めのターサーへのチェンジと違和感を感じていた右もも裏への処置をすませ、秘密兵器(?)のチョコ風味の栄養補給バーを持って再スタート。エイドでのロスタイムは約3分。走り始めたときに、やけにシューズの紐がゆるいと感じた。一度止まって結びなおそうとも考えたが、リズムを崩しそうだし、そのうち足の甲が膨張することを想定してそのままでいくことにした。やがて中間点を通過、考えもしなかった4時間22分台。追い討ちをかけるように右もも裏の痙攣がはじまって走る格好するのがやっとの状態。5km30分超えを覚悟するほどのペースダウンにも感じた。8時間台で走るには後半の50kmを4時間37分、5km28分でも追いつかない。こんな状態では8時間台なんて。。。と絶体絶命のピンチに直面。

【6】可能性を信じて…奇跡的な復活

中間点を過ぎてから情けない走りが続いていたが、屈伸を繰り返したり、手持ちの栄養補給バーをほおばりながら足を進める。53kmあたりから、自分自身でも「あれっ?」と思えるほど、急に体の動きにリズムが戻った。ゆるゆるのシューズも足になじんできた。50~55kmのラップがかろうじて27分台だったことも気をよくした。ここで気持ち面でもギアチェンジできた。自分自身で8時間台到達のために必要なレース設計を計算した。中間点の4時間22分に後半5時間(5km30分ペース)を加えると「借金」は22分、5kmごとに借金を2~3分返済して22分の借金を返済しようと。。。

復活した53km以降の走りは気持ちよかった。苦手区間の萱草鉄橋のあたりや60km手前からのわき道もいい感じ。55~60kmが26分台、ここで復調の手ごたえを「確かなもの」として実感した。60km過ぎのエイドでボランティアの方から自分の通過順位が44位と教えていただいた。前にはランナーの姿もいい感じで見渡せる状態、いい目標ができたと思った。

このあたりで雨が激しくなってきた。目も開けていられなくなってきた。雨だけのせいではない。復活の手ごたえを感じながら沿道の素朴であたたかい声援を聞いているうちに。。。 北緯40度線のゲート前では晴れやかにポーズ、復活の充実感でいっぱい。65kmで借金は13分と順調に返済、まだまだ楽観はできないがモチベーションが上がってきた。

70km手前の上りあたりで股ズレの痛みが気になり始め、勢いが鈍る。その隙に後方からいったん抜いた4名のランナーにかわされる。つらいつらい上りに耐えながら70km通過、5kmラップがぎりぎり27分台だったので心の中のやる気が再点火。一度置いていかれた集団を追いかけるうちにまつごろうさん発見。自分同様、辛抱の走りを続けているように伝わってきた。どんな言葉をかけようかいろいろ考えたけれど、抜き際に「まつごろうさん!」とシンプルに声をかけた。これまで出会ってから9年間、お互い切磋琢磨して、苦難を乗り越えながら走ってきたので、言葉だけでは伝えきれない「以心伝心」を伝えようと思った。

72kmのエイドを通過後、4人の集団から自分ともうひとりのランナーの2人が抜け出す。勢いに乗って飛ばしすぎると自滅するのでリズムを大切に走った。100kmマラソンでしばらく忘れていた「後半のリズムとリラックス」を思い出したような感じがした。80kmでは借金は6分49秒、4等分すると1分42秒と5km28分18秒ペース。「あとひと息」のところまで近づいてきた。

【7】追い足にかげり…80km以降の苦戦

80kmあたりから雨もやみ、日差しが強くなってきた。低温と雨で体が冷え切っていたところに強い日差しは、意識面、ももの動きにも影響を与え始めていた。

81kmの米内沢のエイド通過後、足が止まり始めた。土壇場に来てまずい展開。72kmより並走してきたランナーにも置いていかれ、後方からも2人抜かれる。とにかく水が欲しくなった。長い長い農道の入り口に水の入ったポリバケツがあればラッキーと思っていたらほんとうにあった。しかも氷入り! 給水だけでなく、頭からかぶり、疲れきったももにもかけた。これでリフレッシュできた。81km以降ペースが明らかに落ちていたので85kmの通過が心配だったが5kmラップは27分51秒と踏みとどまっていて安心。リフレッシュ後の走りでペースが回復したようだ。ここで借金は4分40秒なので、90kmまでに2分台にしておきたいところ。農道での走りもしっかりしているので、実現可能にも思えた。

しかし、農道から合川の町並みへと向かうところで追い足にかげり。毎回自分のことを覚えてくれている89kmの川井のエイドがなかなか近づいてこない。ようやくたどり着いたときには85kmより23分経過。いやな予感がした。川井のエイドでは、3年のブランクがあったのに自分のことを覚えてくれていて感激。8時間台死守に向けての最後の詰めをしっかりやろうと走り始めた。

【8】90km以降…頭の中を真っ白に、無我夢中でした!

川井の上りは壁のように感じた。85kmから28分を経過しても90kmの標識がなかなか近づいてこない。ラスト10kmの最後のアップダウンを目前にしてのブレーキは痛すぎる。事実、5kmラップは29分42秒、残り10kmを55分37秒で走らないと8時間台には届かない。5km30分近くにまで落ち込んだラップをアップダウンある区間で27分48秒にまで戻すことは難しそうに感じた。

91km通過は1km5分20秒台が必要と思っていたところ5分36秒、上りのある92kmでは2km11分36秒、正直、完走8時間台の連続記録が途切れてしまうことも覚悟した。でも、72kmからついては離れ、離され、追いついてを繰り返しているランナーの走りを見て、今こそ、「ウルトラランナーの真骨頂と意地」を見せるとき、「ここでがんばらなければいつがんばるんだ!」とあきらめてはいけないと気を取り直す。もう、フォーム無視で、頭の中を真っ白にしてとにかく無我夢中。

93kmでは給水ロスタイムのある中3km17分16秒、このあたりで並走していたランナーを引き離し始めた。下りが始まる94kmは4km22分50秒台、少し持ち直したが必要なペースには届いていない。やがてあきた北空港前のトンネルに入って上りをがまん。なかなかトンネル内の95km標識が見えてこなくてやきもきする。残り5kmは27分12秒と、キロ5分20秒台のラップが必要になった。絶体絶命のピンチ。。。

【9】そしてゴール

トンネルを抜け、下りに入ると今出せる最大限のスピードでラストスパート。とにかく苦しい。肉体面の負荷だけでなく、8時間台出せるかどうかの土壇場で直面している胸が張り裂けそうなプレッシャーに体が支配されて。。。 96kmで時計を見たらキロ5分16秒、「これはもしかして」とさらに腕を振ってピッチを上げる。97kmの給水はコップを取ってひと口飲んで素通り同然、下りの2kmを10分40秒なのでまだまだ微妙に思えた。

平地に戻るとよりいっそう苦しさが増してきた。98kmこそ3km16分01秒だったが、ラスト2~1kmではキロ5分40秒ちょっとかかって4km21分46秒。残り1km時点で8時間54分33秒だから必要なペースは5分26秒。意識が飛びそうになるぐらいのなりふりかまわないラストスパート。不本意にも古傷の右シンスプリントが重くなってきた。本当だったら3年ぶりの復活開催をラスト1kmからの鷹巣の商店街の方々からの「おかえりなさい」のあたたかいお出迎えに応えながら感謝を表現したかったけれど、体では表現できないぐらい自分自身に鞭打ってゴールを目指していた。

鷹巣駅前の曲がり角を右折時、時計は8時間57分30数秒。残された距離は400mほど、まだ安心できないが「もしかしたら」が「いけるかも」という気持ちに変わる。最後の直線は長く感じたが、ゴール直前の3年ぶりの大太鼓の出迎えで「帰ってきたぞ」と実感。大太鼓前を通過時、時計は8時間59分を少しまわっていた。その数秒後に左手にゴールゲートが見えた。もう8時間台でゴールできそうだ。最後のコーナーを左折してゴールゲートを目の前にしたとき、思わず右手を突き上げて「よっしゃー!」とガッツポーズ。その後両ももがつりそうになってバランスを崩しそうになりながらも目の前にはゴールテープ。テープが自分の胸にたどり着く前に両手を力強く上げて「やったー!」と雄たけび。この大会に臨む前のさまざまな試練、苦しみに苦しんだ今日の試練を乗り越え、この大会での完走タイム8時間台の伝統を守り通し、来年10回目の挑戦ができるという達成感が自分を無意識にそうさせたのだと思う。

【10】走り終えて…「これから」に向けて

今回のタイムは記録的には決して満足のできるものではないし、これぐらいで満足してはいけないと思っています。でも、8時間台の伝統を継続させ、いい時の走りを思い出せたことで、来年へのモチベーションアップにつながりました。

走り終えて鷹ノ巣駅の待合室で、10年前のこの大会の表彰式で自分のお隣の席で表彰を受けたランナーから次のありがたいお言葉をいただきました。

「自分は50代で8時間ひと桁で入賞したことを考えるとあなたはまだまだ若い。この大会でいっしょに近いところで何度か競り合ってきたのであなたの走りをよく見てきたけれど、体重は重たいながらも後半の走りは柔らかい走りに見えて、ウルトラマラソンに向いていると思う。これからの活躍を期待しているよ。。。」

とてもうれしかったです。重みのあるアドバイスです。今まで誰からも教えてくれなかった自分の長所を気づかせてくれながら、「これから」に向けて自分に必要なことは何かというアドバイスも教えていただきました。来年の自分に期待できるよう、しっかり練習しよう。そして、来年もこのすばらしい秋田100kmマラソンを走れることを楽しみにしています。今年十分にできなかった沿道の皆さんへの感謝を2回分表現するために。。。

来年はいよいよ完走10回のクリスタルランナーへの挑戦です。大会初の「完走10回すべて8時間台」を達成目指してがんばります!

2008年9月28日 (日)

秋田100km 速報

8時間59分32秒の31位、中間点4時間22分通過で右もも裏痙攣の絶望的状況から粘りに粘って徐々に借金返済。ラスト10kmで5km29分台にペースダウンして残りを55分半でいかねばならぬとわかったときはもうこれまでと観念しかかりましたが、可能性を信じて頭の中を真っ白にして走り、残り5kmから自分でもびっくりのラストスパート。ゴールの瞬間まで8時間台に届くかわからず、プレッシャーも相当なものでしたので、ゴールゲートが見えたときに「よっしゃー!」と拳を突き上げ、ゴールテープを切るときに「やったー!」と雄叫び。タイムは必ずしも満点といえるものでないけれど、この大会に臨む前のさまざまな試練、苦しみに苦しんだ今日の試練を乗り越え、この大会での完走タイムを初回から9回続けて8時間台の伝統をまた積み重ねることができたよろこびから珍しく雄叫びをあげてしまいました。

今日のゴールの瞬間は一生忘れません。

2008年9月27日 (土)

レインボー

レインボー
新幹線@いわて

あまりにみごとな虹だったのでパシッ。
岩手に入り、雨空が近くなったかな?

秋田へ向けて出発

朝、軽い二日酔いで目覚め。にょうがみょうにアルコールまじりのにおい、最後のらおちゅーを後悔。それでも走るほうには支障なし。6kmのjogと軽く流しを4本。帰宅後体重測ったら限界域ぎりぎり。きのうの送別会で1kg、大きいなあ。サラリーマンだからやむなし。よくリミットいっぱいでおさまったと解釈しよう。

新幹線に乗るまえに家内、ご両親と面会。そのあと東京駅へと向かうが、さいふの中にいれたはずのこまち号の切符が行方不明。親友に指定席番号を連絡するために切符を取り出したとき、机の上に置いたままにしたか?と不安が確信に変わる。気づいたのが出発15分前、あわてていたので容易に見つからず、やむなく「もう一枚」。。。

乗車後、冷静になって財布の中をさがしたら、
きっぷ、いまごろでてきたよー。カードとレシートのあいだに紛れてました。JR東日本に一万両寄付。。。
ショックデカいけど、出てきたのでよしとします。あすの走りの吉兆、それとも暗示なのかはふたをあけてのお楽しみとします。

2008年9月26日 (金)

難関脱出

幹部の送別会、幹事兼下僕の役回りに徹し、致命傷を受けることなく脱出できました。ビールグラス4杯、掟破りのらおちゅー1杯でしたが、このぐらいなら上等です!

昨日、秋田のゴール地点近くにある弊社関係会社のお方に3年ぶりにお便り出したら、「ほんとうに」ありがたいフレーフレーメールが届いてすごく感激しております。過去二回、応援にかけつけていただいたこともあり、今回は娘さんの運動会のため残念ながらお会いできませんが、文末のフレーフレーでお力を十分にいただきました。涙出そうでした。これ以上のことばはいりません。全力を尽くします!

折れない心で。。。

秋田まであと3日、ほどよい緊張感に支配され始めました。しかし、仕事では26日に責任者会議を控え、今日はその準備でてんてこまい。午後4時までは助っ人も加わり楽勝ペースだったのに、資料の追加・修正指示が出たり、よくわからない突発対応を求められるわで、完全に揺さぶり負けでした。業務終了は23時手前、疲れ果てて足に力入らず。3日後もこんな感じにならぬよう、折れない心で粘りきろう。

大会に向けての鬼門は、26日の責任者会議だけでなく、そのあとの幹部送別会も控えています。自分にとってはこちらのほうが重たいです。役職が最下位の幹事なのでひたすら下僕に徹し、「飲んでばかりいるなよ」と後ろ指さされないよう、黒子に徹します。水割りとラオちゅーは禁止、ビールのみ、グラスは3杯縛りを守れるよう、鉄のハートでがんばろう。

かんじんの秋田についてですが、わたくしの体調をご心配いただき、途中棄権しないようがんばれと励ましのメッセージもいただきました。人間として、サロマと同じ過ちとくやしさは繰り返したくないし、来年の「オール8時間台でのクリスタルランナー達成」の挑戦権がかかっているので、ぶざまな走りはしたくありません。いまこそサロマ後のくやしい経験を生かすときです。ストレッチ、マッサージをいつも以上に入念に行いながら、自滅しないよう「自分の身の丈」にふさわしい走りをしよう。

2008年9月24日 (水)

えっ、はみ29?

きょうから秋田前日までは走行距離をひと桁台に落としてリフレッシュに努めています。でも、これまで練習量が足りなかったのでリフレッシュするほど追い込んでいないとお叱りをいただきそうですが、走りたい気持ちを溜め込み、気持ちを整えていくことは目先の距離を伸ばすことよりも大切なことではないかと思います。もちろん、でぶ逆戻りのリスクはありますが、そこは承知の上で。。。

朝練習では、昨日アートで買った「ドライアイス入り」のノースリーブシャツを着て出走。あっ、もちろん触ったらやけどするドライアイスでないですよ。Rマークのついたクール感が得られる生地の登録商標名です。「インナーマッスル」をうたっているシャツなので、あの「魔法の水着」のような締め付け感たっぷりの着心地という印象でした。気持ちも引き締まってまんざらでもなかったですが、難点がひとつ。その締め付け感ゆえ、おニクがよーくわかってしまいます。特におなかのあたりが 「えっ、はみ29?」って思ってしまうぐらいはずかしい。ゼッケンつけてしまえばぼろ隠しできるかな? もう少し体を絞ってから着たほうがいいのかな。。。というのが今の気持ちです。(秘密兵器不発か? でも、大どんでん返しもわかりませんよ。。。)

あすあさっては業務で難関鬼門の連続ですが、その先に「秋田」のスタートラインがあることを励みに、乗り越えていこう!

2008年9月23日 (火)

大会5日前…仕上がり具合は?

うれしいことに祝日出勤免れた。ただ、昨晩就寝が26時だったため、朝5時起床は無理。だるいと思いながらも6時半過ぎに出走。大会5日前という貴重な時期にお休みをいただけたので、ほんとうにほんとうの最後の詰めとして20kmjogに1000m刺激を一本。コースは軽井沢越えほどではないが豊富なアップダウンの根岸森林公園経由本牧コースとした。

さすがに昨晩の仕事疲れで重い。途中でお腹をくだしてコンビニのお世話になった。ピットインのあと2kmウオーミングアップを経て1000m刺激を開始。自分なりに追い込んでいるなと思って500mで時計を見たらよもやの1分56秒。。。 頭も体もパニクって後半は1分59秒も要して3分55秒。悪くても3分45秒ではいけると見ていたのに。。。 ウルトラにトップスピードは必ずしも必要でないけれど、体のキレは必要だろう。「大会5日前でこのままでいいのだろうか?」と不安を抱えながらの帰り道となったが、気持ちを切り替えて、真っ白な気持ちでスタートラインにつくことが今の自分に必要なことと思った。あきらめるのはまだ早い。「なんとかなるさ」と開き直っていこう。

帰宅後は疲れのためご飯も食わずに12時前まで沈没。今日は疲れのせいもあっただろうといつの間にか都合の良すぎる自分に。。。 ご飯食べてから秋田に向けてのグッズ買出しに出かけた。最初は初見参の桜木町のショップで済ませるつもりだったが、品揃えが少なくてかんじんのものがないし、店員さんはアート慣れしている自分にとっては相性悪かった。たぶんもうこの店には足を運ばないだろう。結局2度手間になったが渋谷のアートへ行って、おめあてのものをゲット。大会当日のウエアは定番でいくか、気分転換に動くかはあと4日考えよう。

ところで、「秋田」がまだなのに別の大会の話題にするのは気が引けるが、20年ぶりに「防府読売マラソン」にエントリーした。この大会は20年前はじめてのサブスリーを達成した思い出の大会であり、厳しい関門をすりぬけてゴールするには余裕でサブスリーの走力がないとかなわない競技者志向の大会だった。これが過去形となってしまったのは、今回から参加資格も関門規制も大幅に緩和され、これまでのサブスリーの大会からサブフォーにまで門戸を広げることとなったためである。わたし自身の本心としては、20年前にやっとこさサブスリーしてゴールしたランナーだったので「防府は防府のままでいてほしかった」というのが正直なところだが、伝統ある大会を少しでも多くのランナーが走ることには賛同したい。さっそく、宿と飛行機の手配を済ませた。

それにしても「あれから」20年か。。。
サブスリー達成の翌日、厳島神社を前にして晴れ晴れとした表情で記念撮影。20年経った今でも写真から伝わってくるのはうれしさだけでなく、若さも。。。 (ついでに髪も長いなあ)
まあ、懐かしい話はこのぐらいにして、目の前の秋田をがんばろう!

月曜がんばったご褒美に

火曜の休日出勤濃厚のやばい状況のもと、ブルーマンデーは思いのほか自分の業務に集中できた。きょう1日で仕上げることができるか、背伸びすれば何とか届きそうな感じ。「これならきょうがんばれば休日出勤しなくてもいい!」と気持ちを振り絞りつつ、手が焼けると思っていた難題も何だかこちらの都合のいいように結果オーライが重なる幸運も手伝い、23時半にフィニッシュ。全力を使い果たし、横須賀線&京急最終電車で帰宅。月曜がんばったご褒美に祝日はカレンダーどおりお休み! これでがっちり練習もリラックスもできる。火曜の練習をがんばって、あとは大会当日まで軽く仕上げていこう。

ちなみに、きょう(月曜)の朝練習は、時折たたきつけるゲリラ雨の中を走っていて何度か恐怖心を感じた。でも、秋田でも同様な天候になることを十分に想定して、本番を意識して気持ちで負けないように走った。幸いにも、折り返しすぎから天気も落ち着いて、走りも平静を取り戻した。いい練習になった。

2008年9月21日 (日)

最終調整

来週の秋田100kmに向けての最終調整として、早朝に皇居へ出かけて3周の秋田ペース走を実施した。昨晩から頭痛に悩まされたが、「いいかたちで締めくくりたい」との思いに支えられ、走っている間はとにかく集中・集中と言い聞かせた。

結果は69分45秒(ラップ23分25秒-23分24秒-22分56秒)、思っていたほど伸びなかった。月曜日は2周目まで22分台で3周目に失速、きょうは失速しなかったけれど2周目が予定より物足りなかった。月曜の失速があったので守りに入ったのか、もも前側が張っていたことも多少は影響していたかもしれない。

秋田当日は例年よりは抑えて5km23分半ばで入るつもり、節目となるポイントでの通過タイムも頭の中に入れてある。自分自身にとってのポイントは、15km、25km、35km、55km。ここを通過するときの余裕度、モチベーション、気持ちの切り替えが結果を左右しそうだ。例年よりも練習不足であり、自信を持てるような結果を練習で出せていないので、はっきり言って例年よりも自信はない。一歩間違えば撃沈のリスクだってある。そんな中でも、「はじめてこの大会で完走した1991年の無心の走りを思い出そう」と胸に秘めている。あのときの無心の走りと粘りが今回のいいお手本だ。

あと1週間、大会2日前の会社での送別会が鬼門だが、最後の詰めをしっかり行って大会に臨みたい。

2008年9月20日 (土)

来週の秋田をイメージして

台風も朝には通過し、予定通り2時間練習。どのコースにしようか走りながら考えていたが、横浜の軽井沢越えなどアップダウン豊富な日産スタジアムへと向かった。仕事疲れで体がだるかったが、三ツ沢の長い坂は大覚野峠をイメージして走り、まずまずの走り。日産スタジアムに到着して回廊に入ろうとすると、どーんとTV中継車2台が通せんぼ。スタジアムの観客席へと向かう通路には行列、何かイベントがあるらしい。回廊をあきらめて遊水地横の道路で1000mを一本することに。スタジアム横を通過するときに、きょうのイベントが何だったのか、コンサートツアーのトラック数台を見てようやくわかった。シングル初登場首位連続獲得数が日本歴代1位のあのグループだった。恐るべし、数珠玉!
(ついでに、「数珠玉」の前に「新」と入れて英語読みすると、洗剤の商品名になりますね。「ニュービーズ」って。。。)

数珠玉は置いといて、1000Mの刺激は3分47秒。前半1分52秒でまだ余裕あったはずだったが、後半ちょっと力緩めてしまった。でも、サロマ前は同じコースをジャスト4分で右アキレス腱の痛みを感じて悲劇の始まりだった。それから考えるときょうは足も痛まなかったのでよかった。

帰り道に、三ツ沢公園のトリムコースを2周。このコースは1周1300mで、緑あふれるアップダウンがあるコース、どことなく秋田100kmのコースの60km手前の側道あたりの雰囲気を思い出す。来週の走りをイメージしながら、大会気分で走った。このあたりを元気で走れていたらいいな。。。

あすはいよいよ最終調整、皇居に出没して3~4周してきます。渋滞に巻き込まれないよう、早朝に限る。

2008年9月15日 (月)

復調の気配?

火曜の御前会議の後、3連続の飲み会、早朝からの2日間の研修、土曜出勤が重なり、余裕のない日々でした。さすがに首から肩にかけての凝りががまんならず、マッサージに行きました。そんななかでも、「秋田」があと2週間と迫ってきたので、平日と土曜は限られた時間の中でつなぎの練習、日曜と祝日の月曜は「自分にとっての土日」と割り切って、要の練習を行いました。

日曜は三ツ沢公園の周回を2周したあと日産スタジアムへ。幸い何もイベントがなかったので、回廊を自由に走れました。回廊950mでのインターバルを2本、出走前は不安でしたが、結果は3分40秒と36秒。好調時に近いタイムでした。たぶん、3分36秒はコースベストかもしれません。心配していた右アキレス腱の痛みはまったく感じなくなったのはタイム以上に大きな収穫、帰宅後体重を測ったら数ヶ月ぶりの64kg台前半と朗報が重なりました。2週間前はこれよりも2.5kg重かったことを考えると、奇跡に近い。もしかして復調の気配?

気をよくしてきょうは早朝の皇居で「秋田」のペースを意識した調整練習。5周しましたが、「まじ走り」3周で「その他」2周と微妙な評価です。5周2時間切りのペース(1周24分ジャスト)で出走しましたが、1周目が22分58秒、2周目が22分41秒と「出しすぎ」のため、3周目のラスト1kmからペースダウン。右足人差し指のマメもいやらしく感じ、残り500mは「走り続けるべきか、ここで見切りをつけるか」迷いながらの走り。3周目は23分29秒、悪くてももう1周走れそうでしたが、無理して右足の故障が再発したら元も子もないので、残り2周は完全なクーリングダウンに切り替えました。体はだいぶん動けるようになり、事実2周目までは手ごたえ十分でしたが、3周目は練習不足がもろに出ました。「秋田」当日もこのようなことにならぬよう、自分の体調と練習量をじゅうぶんに考慮しないといけません。でも、最初から「だめだ」と消極的な気持ちにならないようにしよう。

今回の秋田は「後半勝負」、この大会で8回続けている8時間台の完走という自分の中での「伝統」をつなぎ続けることが今回最大の目標、死守しなければならない。完走10回のクリスタルランナー達成をすべて8時間台で揃えたランナーはこの大会では誰もいない。まだ誰もやったことのないことに挑戦するためには、今回8時間台で走らないことには始まらない。今回は自分にとっての最大のピンチと考えていますが、ピンチを乗り越えて来年の挑戦権を得られるようにしたい。

あと2週間、体重が63kg台に落ちたらもう少し期待できそうです。あきらめずにがんばります!

2008年9月 9日 (火)

まじぎれ寸前

昨晩早寝したのに起床は6時ちょい前。しかもアキレス腱上のふくらはぎのこむら返りでお目覚めという不機嫌な起床。痛くないほうの足だったのでいやな予感がしたけれど、走りには影響なかった。もっとも、走行距離が8kmしか行けなかったのは誤算でしたが。

会社では次から次へと難題発生。ほんとうに、自分たちに非があるのに「工数」の問題で責任転嫁しようとする他部門の責任者への怒り、シャワーを浴びせるようにいろんな指示をしながら、アウトプットの完成が遅いと「とろい」とつい口走ってしまう方たちにはまじぎれ寸前です。サラリーマンなので努めて冷静に対応しましたが、部下に指示するときはショットガンではなく、優先度に応じた交通整理が必要に思う。かつて高校3年の社会科の教師で「これも大事、あれも大事」と大事と言われた教科書の箇所にアンダーラインを引いていたら、教科書がアンダーラインだらけになって、どれが大事かわからなくなったことを思い出した。人間、欲張りやせっかちじゃ、時々ポイントの絞れない、拙速な判断に結びつくこともあるので注意が必要です。あとは「人の話に耳を傾け、空気を読んだ対応が必要」ではないかと。。。

冷静になるための時間が欲しい。

2008年9月 7日 (日)

大会3週間前…当たって砕けろですかね

昨日1日休んだらずいぶん楽になった。予定では6時に家を出発して電車で多摩川まで行って30km走というところでしたが、3時からサッカー見ていてひやひや勝利で気を緩めたらいつの間にか9時に。。。予定変更して自宅と綱島間の往復32km走にしました。

1日休んださぼりばねで、行きはまずまず好調。暑いとは感じなかったけれどさすがに10時出走ではのどが渇く。日産スタジアム経由なのでたどりつくまでにきつい上りが数箇所あるが、そこは3週間後の「秋田」をイメージしてだらけないようにした。

鶴見川に出てから綱島までは給水所がなくきつかった。ここでかなりエネルギー消耗。綱島駅にたどりついたときにはもうばてばて。給水も1回では足りなかった。帰り道はさすがに足が止まりかけた。こまったときは。。。と途中でコーラ給水。これで多少は食いつなげたが、日産スタジアムを抜けるころには2,3日前の朝練習のような走りに。。。 右ふくらはぎも思い出したように張ってきた。3週間後もきっとこうなるだろうから、踏ん張って耐える走り方を覚えておかねばならないけれど、手ごたえは「まいったな」というのが正直なところ。きょうは暑さ、重量オーバー、ふくらはぎ痛の3重苦でした。走っていてお腹の周りが重く感じた。また、右ふくらはぎの張っているところに「口」がついてはあはあ呼吸しているような感触もあった。くやしいけれど、これが今の自分の体調。でも、スタートラインに立つ以上は気持ちで負けないようにしよう。もう、当たって砕けろですかね。。。

2008年9月 6日 (土)

一回休み

昨晩は終電での帰宅で26時就寝、肉体的疲労と難局続きの気苦労で土曜出勤が危ぶまれる体調でした。出勤時は何度か足がもつれてやばかったです。こんな状態だから足の調子を考えて今日は一回休み。あしたしっかり練習しよう。1日休めば、シンスプリントもよくなるだろうという願いを込めて。


仕事はおかげさまでさくさく行きました。お客様対応電話は「あたり」だったけれど、お願いする部門の方とスムーズに連絡取れたので、助かりました。

夜はゆっくり休もう。そしてあしたの練習に備えたい。

いろんなことが重なりまして。。。

いろんなことが重なりまして、スランプの一歩手前。
経理締め、来週火曜日の御前会議対応、お得意先の倒産騒動といった業務面に加え、右ふくらはぎの状態が気まぐれ。朝走っている途中から痛みではないがつっ張り感で不調。きょうもまた6km、キロ8分は卒業したけれど7分半。仕事中も張りが気になった。最近帰宅後疲労困憊で風呂にも入らず眠ってしまうので、脚のケアが不十分かもしれない。

右ふくらはぎさえよくなれば。。。

土曜日はお客様対応当番で出勤、当番の日はプレッシャーがかかりますが、何とか無事を願って。。。

2008年9月 4日 (木)

こんなペースで。。。

朝は仕事疲れ、二日酔い、昨日の仕事でのむかむか感、そして右アキレス腱をかばう意識により、信じられないようなよれよれペース。55分走ってたったの6km、キロ9分。早歩きに毛が生えたペースに等しい。こんなペースで本日の走行距離としてカウントするのは自分自身としてはとても気が引けます。いちばんの原因はおさけ、お付き合い程度でもずいぶん体に残るものです。

そういえば、「秋田」2日前に送別会が入ってしまった。まずいことになった。

2008年9月 2日 (火)

前代未聞の運ちゃん

夕方、急ぎの業務で目黒までタクシーに乗車。大塚山と言っても運ちゃんがわからなかったので、山手通りに乗ってくださいとナビゲート。運ちゃんから返ってきたひと言は「山手通りがわからないので目印になるものないですか?」
あぜんとしました。天下の(?)山手通りがわからない? カーナビまでご丁寧についているのに、「慣れていないので」という言い訳はお客様をばかにしているように思えました。前代未聞です。「あなた、ほんとうにやる気あるの?」ということばが口元まで出そうになったのを我慢しつつ、「話しにならないので降ろして!」と返しました。そのあとなかなか次の一台がつかまらなかったけれど、次のところは老舗だけあってさすがでした。

お金を得るために働くならば、プロ意識を持つことと、たとえ不慣れなことでも一生懸命に、気持ちとやる気を伝える姿勢が大切ですね。

朝はきのうのキロ8分からは脱出したけれど、体重はたったの400g減。駅の広告看板を見て、Wii-フィットを衝動買いしたくなりました。

2008年9月 1日 (月)

逆戻り

昨日22時に重たい荷物とともに帰宅。遠征ではいつも行きよりも帰路の荷物が重く感じるけれど、重たさの大部分は汗や水分をたっぷり含んだ洗濯もの、おみやげ、疲労感と思う。成果や収穫が多いほど、疲労感がよろこびに変わって軽く感じるけれど、今回は結果が結果だけにいっそう重く感じた。


重さといえば、我が身もしかり。3日前に2キロ落ちてよろこんでいたのに、五島から帰ってきたら忌まわしいあの大台に逆戻り。結局もとのままかとショック。

苦難は続く。。。

« 2008年8月 | トップページ | 2008年10月 »